福島県郡山市の家庭教師―津野

「対話」とは

はじめに

「対話」とは、どういう意味でしょうか。「対話」は、ただ単に話すことではありません。

「教えること」と「できること」

「教えることは、自分でするのとは別だ」とよく言われます。しかし、一概にそう言えるのでしょうか。

スポーツのような高度な身体能力を求められる技術については、教える人と実行する人が必然的に分かれます。100m走のオリンピック金メダリストのコーチは、そのメダリストのように走ることができません。

他方、知的能力に関わる技術については、教える人と実行する人の区別はありません。なぜなら、教えることができるということは、自分でも実行することができることを意味するからです。例えば、英語の読み方を教えられる人は、自分でも英語を読むことができます。

「見習い」

「見習い」という方式は、次の2つが共に成立する点で優れています。

  • 有効性
  • 動機

「見習い」の有効性

人にとって最も馴染みやすい学び方は、他人の真似をすることです。そのため、知的能力に関わる技術については、次の2つによって教えるのが最も良いのです。

  • 教える人が教わる人に実際にやって見せること
  • 教わる人が真似をして間違ったら、教える人が指摘すること

つまりは、「見習い」です。

「見習い」の動機

教わる人は、教わる内容について詳しくは知りません。教わる人は、教えられる内容について適切なのか判断することができません。そのため、教育が成立するためには、教わる人が教える人に従うことが必要です。

では、教わる人は、なぜ教える人に従うのでしょうか。それは、「教える人に従うことによって、身に付けたい能力を身に付けることができる」と教わる人が考えるからです。

では、教わる人がそのように考えるのは、どのような時でしょうか。

「見習い」では、実際にできる人に教わります。そして、教わる人は、他人ができるのかどうか判別することができます。そのため、「見習い」では、教わる人は、「教える人に従うことによって、身に付けたい能力を身に付けることができる」と考えることができます。

対話の必要性

知的能力に関わる技術については、教わる人は、できる人の見習いとなるのが良いのです。なぜなら、教わる動機と教える方法が共に良いものになるからです。

「見習い」では、教える人と教わる人の関係は、先輩と後輩になります。なぜなら、教える人も、自分で実行するのであり、教わる人と共に学ぶことになるからです。

ここでは、「教育」ということは意識されません。「教える」という言葉は、「誰が」と「誰を」という情報を必要とします。したがって、教える人と教わる人が分かれていることを含んでいます。そして、先輩‐後輩の関係は、教える人‐教わる人の関係ではありません。

結局、知的能力に関わる技術については、「教育」が望ましくありません。良いのは、一緒に問題に取り組むことです。

私は、一緒に問題に取り組むことを「対話」と呼んでおります。