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郡山市の家庭教師【東京大学卒】

「個別指導」と「集団指導」

「個別指導」と「集団指導」の定義

教育のためには、教育内容を表現することが必要です。ここでは、教育内容を表現することを教育的表現と呼ぶことにします。

なお、教育的表現の方法には、「見習い」と「講義」の2種類があります。

1回の教育的表現は、複数人に対して行うことができます。したがって、教育手法は、次の2つに分類されることになります。

個別指導
教育のうち、1回の教育的表現を1人のみに対して行うもの。
集団指導
教育のうち、1回の教育的表現を複数人に対して行うもの。

集団指導の必要性

集団指導は、次のような利点があるため、教育の原則的な手法となります。

集団指導では、教師の人件費を多数の生徒に分散することができます。また、教師の数が少なくても、多数の生徒に教育を行うことができます。

したがって、個別指導と集団指導との間で教育効果が変わらない場合には、集団指導を行うべきです。

個別指導の必要性

では、個別指導は、何のために必要なのでしょうか。

教師に対する信仰

教育では、生徒の能力が伸びないことについて、教師と生徒の間で責任が分担されます。つまり、生徒の能力が伸びないのは、教師と生徒とどちらの責任かという問題があります。

生徒の能力が伸びないことが生徒の責任とされうるのは、どのような場合でしょうか。つまり、「生徒の知識や技術が伸びないのは、教師の教え方が下手だからだ。」という考え方にならないのは、どのような場合でしょうか。

それは、教師による教育は正しいということが信じられている場合です。その信仰を持つ人が「教師の教え方が下手だ。」と指摘することは、ありえません。

集団指導の虚構

もちろん、その責任の分担は、合理的になされるべきです。したがって、正しい教育を行っている教師は、合理的な教育をしていることになります。

合理的な集団指導のためには、担当する全ての生徒に通用する教育を行うことが必要です。なぜなら、集団指導の教師が一部の生徒にしか通用しない教育を行うことは、明らかに不合理だからです。

仮に教師が担当する全ての生徒に通用する教育を行うとしましょう。この場合、生徒の能力が伸びないのは、生徒の責任になります。教師が生徒に「なんでできないの?」と怒ることの背後は、このような考えがあります。

信仰の崩壊

現在では、生徒の能力が伸びない責任を生徒に帰することは、難しくなりました。つまり、生徒の能力の伸びは、教え方に左右されるということが信じられるようになりました。

なぜなら、「教師による教育は正しい」という信仰が崩壊したからです。その理由は、次の2つです。

  • 保護者の高学歴化
  • 社会の情報化

保護者の高学歴化

以前は、保護者の多くは、中卒や高卒でした。それに対して、教師は、大卒です。そのため、保護者の多くは、子どもの教育を目の前の教師に任せることになりました。なぜなら、何をどう教えたらよいのか、分からないからです。

他方、現在の保護者の中には、教師よりも高い知的能力を持つ人が多くいます。このような保護者は、「教師による教育は正しい」とは考えません。逆に、教師の教育を批判的に捉えるようになります。

社会の情報化

生徒自身と保護者は、インターネットや書籍を通じて様々な情報を入手することができるようになりました。また、生徒は、目の前の教師よりも優れた教師の集団指導を、インターネットを通じて受けられるようになりました。

したがって、目の前の教師による教育は、様々な教育の中の1つへと相対化されることになりました。例えば、生徒の中には、「あの先生よりもこの本の方が分かりやすい。」と考えるものが現れます。

教育の個別化

現在は、担当する全ての生徒に通用する教育というものは、存在しないことになっています。生まれ持った資質やそれまで受けてきた教育は、生徒ごとに異なるからです。

そのため、保護者は、個々の生徒に合った教育を意識するようになりました。個々の生徒に合った教育とは、個々の生徒にとって次の性質を持った教育を意味します。

内容の必要性
教育の内容が現段階で必要であること
表現の適時性
教育的表現の時期が適切であること
方法の適切性
教育的表現の方法が適切であること

上の3つは、集団指導では困難である場合があります。したがって、個別指導が求められるようになりました。

個別指導の可能性

社会において個別指導が広く行われるためには、次の条件が満たされることが必要です。

集団指導の変化

集団指導に限界があったとしても、集団指導が全て否定されるわけではありません。特に、集団指導の経済的メリットは、無視することができません。

集団指導と個別指導の折衷

教師は、次のように、集団指導に個別指導を混ぜ込むようになりました。

  • 宿題を確認すること
  • 授業中に練習をさせること

教師は、宿題を確認することによって、個々の生徒の学習状態を捉えることができます。また、授業時間中に練習をさせることによって、問題のある生徒を抽出することができます。教師は、これらの方法を通じて、個別に指導を行うことができます。

しかし、これにも限界があります。1人の教師が数十人の生徒の全員を個別指導し続けることは、不可能だからです。

集団指導の展開

現代では、「教師による指導は正しい」と思い込んでいる教師は、ごく少数となっていると思います。そのため、集団指導に個別指導をより大きく混ぜ込み、同時に授業を削る動きがあります。どの動きも、「授業中に練習をさせること」を強めていくもので、集団指導に収まるものです。

その動きには、次の2つがあります。

  • 生徒間の対話
  • 授業の自習化

生徒間の対話

1つ目の動きは、生徒間の対話を重視するものです。

集団指導では、教師は、少人数の生徒と対話することができません。しかし、生徒同士なら、少人数で対話することが可能です。

生徒は、その対話を通じて、知識を深めたり、思考力を高めたりするとされています。

授業の自習化

2つ目の動きは、授業を行わず、自習のみにしてしまうものです。

自習の方法を身に付けたり、分からない部分を尋ねたりすることで、教育内容を練習します。