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郡山市の家庭教師【東京大学卒】

「学校の勉強」をすべき理由

保護者は、子どもに「学校の勉強」をするように要求します。子どもは、保護者に「なぜ?」と質問します。保護者は、その質問に対して、「将来のため。」と答えるでしょう。

しかし、学校で習う知識は、全部が将来の役に立つようには思われません。例えば、次の知識は、学校を卒業した後、一部の人しか使わないように思われます。

保護者の答えである「将来のため。」は、生きる上で必要な知識や技術を身に付けることではなさそうです。

では、保護者が「子どもは、学校の勉強をすべきである。」と考えているのは、なぜでしょうか。

保護者は、自分の子どもに何らかの能力を持ってほしいと考えます。しかし、大部分の保護者は、どのような能力を身に付けるべきか判断することができません。しかも、子どもが持っている能力を評価することもできません。

また、公的な評価は、他の私的な評価よりも優れていると思われます。なぜなら、多くの人々からの批判を受けて、磨かれているからです。

このような状況から、学校は、子どもの知的能力を評価する機関として認められています。そして、大部分の保護者は、自分の子どもが学校から高く評価されることを望むようになります。

学校の役割

筆者は、家庭教師を営んでいます。保護者から次のようなことを言われることがあります。

うちの子は、学校の授業についていけるでしょうか。

この言葉は、2つの認識から来ています。

心配

保護者は、学校を、教育機関として認識していません

学校教育に関する心配を家庭教師に打ち明けるのは、なぜでしょうか。学校教育に関する保護者の心配は、通常、学校が解消すべきです。

保護者は、学校が「うちの子」に合わせることを期待していません。逆に、「『うちの子』が学校に合わせなければならない。」と考えています。

教育は、他者の学習上の課題を解決することです。生徒を「置き去りにする」ことは、教育に該当しません。そのため、教育機関に対しては、「うちの子を置き去りにするかもしれない。」という心配が生じません。逆に、「うちの子に合わせて良く教えてくれるだろう。」と期待するはずです。

したがって、保護者は、学校を、教育機関として認識していません。

希望

保護者は、学校を、知的能力を評価する機関として認識しています。

他方で、「うちの子は、置き去りにならないで欲しい。」という希望があります。

子どもが知識や技術を身に付けるためには、学校教育に置き去りにされたとしても、別の方法で身に付ければ十分です。そのため、「うちの子は、置き去りにならないで欲しい。」と思うことは、必要ありません。したがって、保護者は、子どもが学校教育で具体的な知識や技術を身に付けることを期待しているわけではありません。

学校は、一定の知的能力を持たない生徒を置き去りにします。逆に言えば、学校の授業についていける生徒は、一定の知的能力を持つことを意味します。したがって、この希望は、「うちの子には、できるだけ高い知的能力を持って欲しい。」という意味になります。

学校は、生徒の知的能力を評価する機関として認識されています。

小括

保護者の認識では、学校は、教育機関ではなく知的能力を評価する機関です。そして、保護者は、自分の子が学校で一定の評価を得ることを期待しているのです。

学校の評価権の根拠

学校(大学を含む)は、保護者のみならず日本社会でも広く、知的能力を評価する機関として認められています。特に、学校の入学試験に合格することは、入学試験の難易度に応じて、受験者の知的能力を表すとされています。

例えば、「東京大学の入試に合格する人は、頭が良い。」と言われます。実際、2020年3月現在、「東大王」という名前のクイズ番組も存在します。

この章では、学校が知的能力を評価する機関として認められている理由を検討します。

理由の探索

評価の正しさ

学校が知的能力を評価する機関として認められているのは、その評価がある程度正しいからです。

個人の性質について評価が正しいとされるためには、その評価と何らかの事実とが結びついていることが必要です。

例えば、人の優しさを評価するとしましょう。「優しさ」が高い人は、人に暴力を振るわないはずです。したがって、暴力的な人を「優しい」としてしまうような評価は、誤っていることになります。

人の知的能力を評価する際にも、評価が何らかの事実と結びついていることが必要です。

事実の影響力

人の知的能力に対する関心は、日本社会全体に広がっています。したがって、知的能力の評価は、多くの人が関心を持つような事実と結びついています。つまり、社会全体に影響があるような事実と結びついています。

なお、社会に対する個々人の影響力は、限られています。しかし、それでも、個々人の知的能力に関する評価と社会的影響力には結びつきを想定することができます。「知的能力の高い人」という種類の人全体に注目すると、大きな影響力を持つことが分かるでしょう。

学歴と社会的地位の関係

学校が知的能力を評価する機関として認められている理由は、学歴が高い社会的地位も高いという傾向があるからです。

言葉の整理

学歴の高さ

ここで、「学歴の高さ」は、卒業した学校(大学を含む)の入学試験の難しさを意味します。

社会的地位の高さ

「社会的地位の高さ」は、次のようなものを指します。

  • 収入の大きさ
  • 権威の大きさ
  • 権限の大きさ
  • これらの安定性

社会的地位が高い人は、そうでない人と比べると、社会に対してより大きな影響力を持ちます。

関係がある理由

学歴と社会的地位との間に関係があるのは、なぜでしょうか。

通常、社会的地位を高めるためには、一定の専門的な知識や技術が必要になります。しかし、日本社会における「学歴の高さ」は、専門性とは関係がありません。なぜなら、大学での成績や大学院進学は、あまり注目されていないからです。

また、学歴が発生する年齢は、通常、20歳前後までです。他方で、人の社会的地位が高くなるのは、それから何年も後のことです。

したがって、日本で広く認められている選抜制度には、次のようなものがあると考えることができます。

  • 知識や技術の専門性を問題にしない
  • 20歳前後の時点で将来の社会的地位が限定される

その選抜制度は、具体的には、終身雇用制度と年功序列制度です。

終身雇用制度
企業が従業員を生涯にわたって雇用する制度
年功序列制度
勤続年数や年齢などに応じて役職や賃金を上昇させる人事制度

小括

学校が知的能力を評価する機関として認められる理由は、終身雇用制度と年功序列制度を背景に、その評価と社会的地位が結びついてきたからです。

期待の由来

終身雇用制度と年功序列制度は、消滅しつつあります。つまり、学校の評価権の実質的な根拠は、消滅しつつあります。それでも、大部分の保護者は、自分の子が公教育で一定の評価を得ることを期待しています。

子どもが何の能力も身に付けないまま大人になることは、望ましくありません。そのため、子どもの能力を何らかの方法で評価することが必要になります。

大部分の保護者は、子どもがどのような能力を身に付けるべきか自分で判断することができません。なぜなら、自分自身が社会の中で強く生きるための方法を知らないからです。

また、判断できたとしても、子どもがその能力を身に付けつつあるかどうか評価するためには、専門的な知識や技術が必要になります。そして、大部分の保護者は、そのような知識や技術を持っていません。

したがって、大部分の保護者は、子どもの能力を自分で評価することができません。

大部分の保護者は、その評価を公的領域に任せるしかありません。その評価基準は、多くの人々の批判を受けて、磨かれていると想定されます。